私は、5年生の冬期講習にプール生として参加した後、6年生スタート時の2月から正式に浜学園へ入塾しました。それまでは自宅から通いやすい地元の塾に入ってはいましたが、中学受験というものが、まだよく分からないまま過ごしていました。記憶は定かではありませんが、3年生の頃にどこかの教室に連れていかれテストを受けさせられた、それが浜学園と初めての出会いだったと思います。それからは、ことあるごとに浜学園のイベントに参加し5年生の最初からは、毎月欠かさず公開学力テストを受けていました。成績は4科目の平均偏差値が50前後で推移していました。そして、マスターコースのクラスは、入塾前の一番よい成績を基準にして決まりS2からのスタートになりました。天王寺教室のマスターコース、なかもず教室で日曜錬成特訓が始まった訳ですが、いきなり出鼻をくじかれる思いをします。私が思っていた以上に周りの人たちのレベルが高く、塾生にさえなれば、楽に成績も上がるだろうと甘い考えで油断していたのです。それらは、すぐに表れて復習テストではクラス下位、公開学力テストの偏差値は、50にまったく届かなくなり、いつしかHクラスになりました。このままでは、なかもず教室で今年から新設される日曜志望校別特訓の清風南海コースを受講することもできません。夏休みまでに一刻も早くこの状況を打開するため各教科で教育相談を申し込みました。学習スタイルを改善することなど指摘を受けて、残された期間で志望校に向けて具体的なアドバイスをして頂きました。そして、学習サイクルに慣れてくると次第に効果が表れはじめ、S2クラスに戻れることになり、また清風南海コースの受講基準を0.4上回って、ぎりぎり資格を得ることが出来ました。その清風南海コース初日、コース統括の先生が「今の成績では、まだ合格することは難しい、君たちはチャレンジャーだ!」と仰って、気が引き締まったことを今も思い出します。そして、ここからの私は、今まで経験したことがない異次元のようなスケジュールで、9月から受験終了までの4ヶ月半を駆け抜けることになります。浜学園のほぼすべての対策講座や過去問演習などを優先したうえで、本命の清風南海中学校のプレテストはもちろんのこと、様々な中学校のプレテストなどを可能な限り受けまくりました。私の場合、かえって予定を詰め込んだことにより、工夫して効率よく大量の課題をこなす様になって処理能力が向上していきました。その成果は、最後の合否判定学力テスト・公開学力テスト・清風南海中学校のプレテストで実感できたのです。いよいよ1月に入り前受け受験となるのですが、1校だけ受験予定のところスケジュールをうめる方がよいとの判断で2校受けることにしました。そして、このことが後につながっているとは思いもしませんでした…。清風南海A入試、集合の体育館で熱の入ったミニ講義の後、よい緊張感で試験に臨むことができました。翌日、奈良学園の試験終了後、Webで先に確認せず清風南海へ向かいます。発表の会場に到着すると、指導してくださった浜学園の先生方の姿が見えましたが、まずスクリーンに映る受験番号を確認しにいきました。私の番号はありませんでした。受験票と引き換えに得点表が入った封筒を受け取り、そのままコース統括の先生にお渡しすると「うおっー!あと7点や!大丈夫、明日も勝負しよう!」と励まして頂きました。足早に帰宅するやいなや、B入試まで残り16時間余りしかない中、出来る限りの対策をして明日に備えました。当日、魂がこもった心に響くミニ講義があり、試験が始まったときには集中力がピークに達していて、手が勝手に動いていくような不思議な感覚で、4教科が終わっていました。翌日の合格発表は、先に父がタブレットで確認してくれたのですが、慌てていたらしく受験番号を勘違いして、「ないなぁ、なんぼ見てもない。とにかく会場行こう」と言っています。でも自分の目で確かめると、ちゃんと番号はありました。発表会場には、浜学園の先生方が待っておられました。胸がいっぱいになり、お礼の言葉すら出てきませんでした。私を応援してくださった浜学園の皆さん、家族、祖父母に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。最後に万全を尽くすことの大切さも学びました。清風南海B入試の国語に前受け校の過去問と同じ物語文がでたのです。ある程度、情景を把握していたので問題を解くのに助かりました。このことがアドバンテージとなって次の教科へとつながり、巧く力を発揮できた要因になったと思います。では、そろそろ合格は通過点として気持ちを切り替え、次のステージにむけて準備を始めてまいります。