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執筆:奈良県北葛城郡 西大和学園中学校・高等学校 社会科 大船稀也

 西大和学園中学校では、中2で富士登山を実施しています。苦労して、みんなで力を合わせながら山頂まで登ることで、達成感と充実感を体全体で味わうことができます。
そこで今回は富士山にまつわるお話をしましょう。

 富士山は山全体が古来より信仰の対象とされてきました。江戸時代には「富士講」とよばれる民間信仰が流行し、富士登山ブームが到来しました。富士登山の際には御師(おし)と呼ばれる指導者が宿を提供したり登山道についての情報を提供したりしました。

 江戸時代末期になると外国人も富士登山をおこなうようになりました。1860年に初めて富士山に登った外国人、それはラザフォード・オールコック(1809~1897)です。オールコックは初代イギリス公使で、1859年に駐日英国総領事として江戸に着任します。幼少期から文学に興味をもつ彼はどの国へ行っても、その国の政治・文化・社会・経済・自然をよく観察していました。日本についても同様で、日本におけるあらゆるものを観察する好奇心がありました。そこで日本にやってきた際、富士登山をすることを決定しました。しかし時は幕末、開国後の動乱で国内では攘夷運動が盛んで外国人殺傷テロも頻発していました。当時、江戸幕府は外国人の旅行も申請をすれば可能としていましたが、もし旅行中にオールコックが襲撃されたら幕府にとって非常に厄介なものでした。外交問題や最悪の場合、戦争に発展する恐れがあったからです。そのような中、オールコックは幕府の反対を振り切って富士山登頂をおこないました。

山頂ではイギリス国旗を掲揚し、噴火口にピストルを撃ち、シャンパンを飲んだという記録があり、富士登山をかなり満喫していたようです。

 富士登山の翌年にはオールコックは長崎から江戸の日本各地を見物しましたが、江戸に帰った翌日、滞在していた東禅寺で水戸藩の藩士に襲撃されました。

 奇跡的に助かり九死に一生を得ました。まさに当時、彼にとって命を懸けた富士登山でした。それだけに、苦労をして登った山頂での風景はとても感動的な美しいものだったに違いありません。

 オールコックは後年、イギリスで『大君の都』という日本滞在記を発行します。150年前の日本がどんな風だったのかを知る上で、しかも、外国人が日本をどう見ていたのかを知る上でも非常に面白く興味深いものです。皆さんも、タイムスリップした気分で読んでみてはどうですか。