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執筆:北海道札幌市 北嶺中・高等学校 国語科教諭 紀國谷 和隆

 新元号が「令和」となり、出典となった『万葉集』にも注目が集まりました。
 当時の日本人が、どのような考え方をしていて、何に感動していたのかを、令和時代に読むことにはたいへん意味があると思います。
 今、私たちが親しい人にSNSを使ってことばを届けるのと同じように、奈良・平安の人々は「歌」を使って(ひょっとしたら私たちよりももっと頻繁に)思いを伝え合っていました。万葉集の時代には、素朴で直情的な歌が多かったのですが、時が経つにつれて、工夫した歌も詠まれるようになりました。

 では、平安時代に紀貫之が作った歌を一首紹介しましょう。
 この歌は、「女郎花」という花をテーマにして作られた歌です。

小倉山 みね立ちならし 鳴く鹿の 経にけむ秋を しる人ぞなき
(現代語訳:小倉山の峰を歩き回って鳴く鹿が過ごしたであろう秋の数を知る人もない)

 さて、この歌のどこにも「女郎花」という花の名前は見当たりません。しかし、五七五七七の頭の文字だけを五文字並べると…「を」「み」「な」「へ」「し」と読めます。「あいうえお作文」のような技法ですね。これを「折句」といいます。聞いた人々は感動したでしょうね。

 では、この知識を使った応用編です。

A 兼好法師が頓阿法師に送った歌

夜も涼し 寝覚めの刈穂 手枕も 真袖も秋に へだてなき風
(秋の夜に涼しさで目が覚めると、腕枕した袖の間から冷たい風が吹き込んできました)

B 頓阿法師からの返事は

夜も憂し 妬く我が背子 果ては来ず なほざりにだに しばし訪ひませ
(秋の夜は長いが君は来なかった。少しでもいいから顔を見せればよかったのに)

 このやりとりにはどのような意味があるでしょう?

 …わかりましたか?(考えがまとまったら、次の解説を見てください)

 先ほどの要領で読むと、A「よねたまへ」に対して、B「よねはなし」となりますが、実はこの歌はこれだけで終わりません。今度は五七五七七の最後の文字を後ろから帰ってくるように読むのです。A「よねたまへ ぜにもほし」(米をください、お金も欲しい)に対して、B「よねはなし せにすこし」(米はありません、お金は少しだけあります)と読めます。このような技法を「沓冠」といいます。
 二人とも鎌倉時代末期の知識人で、直接「お金をくれ」とはいわずに、歌を贈ることでこっそりとお願いを伝えたものです。伝え方も受け取り方も風流で面白いですね。

 社会科ではその時代に何が起こったのか、なぜ起こったのか…という「知識」を学びます。文学ではその時代を生きた日本人が、どのようなことを考え、どのように生きていたのかを知ることができます。つまり、「もののとらえ方」にも歴史の中で「変化」があったということです。歴史の知識を持って、文学で当時の人の声を聞く。こうして「日本人のルーツ」を知ることができるのかも知れませんね。