(はじめに) 僕はこの春、浜学園の方々、両親そして友達に支えられ、第一志望の灘中学校に合格することができました。この体験記が後輩の皆さんのお役に立てば幸いです。
(飛び級 小6)
みんな受験生なので、邪魔にならないように一生懸命勉強しました。気の合う友達もでき、早く塾へ行って一緒に勉強してわからない問題を教え合いました。受験生のスパートのすごさや大変さ、来年は何をしないといけないかなど、身近に感じ取ることができたのは飛び級の特権だったなぁと思いました。
(小6 2回目)
正直、7年の通塾生活で一番きつかったです。それまではのほほんと何の気負いもなく浜に通塾して好成績をキープしていました。しかし、飛び級戻りのプレッシャー、去年までの友達はみんな中学生になったのに僕はまだ小6かという空虚感、西宮まで電車で通塾する大変さ…。とにかく勉強する気が一気になくなってしまいました。西宮教室の0組にはいましたが、飛び級戻りだったので友達がいなくて、塾がつまらなくなってしまいました。しかし、そんなのは少しだけで、すぐに友達もでき、わいわいがやがや0組メンバーと談笑したり、教え合ったり、どんどん楽しくなってきました。小6の最初のころは飛び級の貯金があり、好成績でしたが、5月には既に貯金がなくなりました。学園長に相談したり、アドバイザーの先生に発破をかけられたり、他の先生と談笑したり、とにかく先生方に接する機会を増やしアドバイスをいただくことにしました。
(灘中1日目)
1日目算数はとても難しかったけれど、総合的、相対的にはできた感触もできなかった感触もなく、普段どおり落ち着いていました。この日も20時に寝ました。
(灘中2日目)
これで受験生活から解放される~~~と思ったら嬉しくなりました。ただ、油断大敵、気を引き締めて2日目に臨みました。
(灘中合格発表日)
僕が灘中に落ちるわけはない!といつも思っていました。体育館が開き、掲示板を見に行くとやはり番号がありました。あ~あったわ!ぐらいの何とも呆気ない幕切れでした。
(開成中学) 3科で7年間やってきたので、灘中が終わってから開成までの1週間で社会を詰め込みましたが、自己採点の結果、社会はやはり受験者平均もありませんでした。理科も相性が悪く、過去問通りの良い点数が取れませんでした。国語と算数のおかげで何とか合格できました。
(最 後 に) おやすみコールで学園長に「浜学園は家のようなもんやな」と言われるぐらい学校から帰ったらすぐに浜へ行き自習し、居残って勉強しました。家で勉強ができないタイプだったので…。このスタンスが灘中受験3日前まで続きました。夏休みには体力温存と通塾時間短縮のため親が西宮にマンションを借りてくれました。また、冬休みには灘中の近くのマンションを借りてくれました。僕が余裕で灘中に合格できたのは、親身に相談に乗って下さった浜学園の先生方や状況に応じて臨機応変に転籍に付き合ってくれた両親、最後までギスギスした雰囲気にならず切磋琢磨し合えた友達など多くの人に支えていただいたおかげです。7年間本当に有難うございました。感謝の気持ちでいっぱいです。