僕が受験しようと思ったのは、知り合いの須磨学園合格者にあこがれたからだ。4年生から浜学園に通い、初めはHクラスの中でもどん底だった僕。勉強量もとても多く感じた。でもめげたら終わりだと思い、コツコツと取り組みHクラスでの成績も上がってきた僕。それから僕はSクラスに上がることができた。初めはどん底でも、そこでめげずにどれだけ浜学園の勉強をコツコツこなしていくかによって成績は異なってくるのだということを感じた。6年生になるとVクラスに上がっており、最レにも通っていた。でもクラスが上がったり、何かの特訓に行けば行く程、あたりまえだけれども宿題量は増える。ただでさえ多いのにそれ以上に増えていく宿題。それまで全部できていたけれど、もうこなすことが難しくなっていた。そんな時、「全部やったとしてもそれがどれだけ身につくかが大切であって、量は少なくても全部を身につけたならその方が良い」という言葉を先生から聞いた。浜の宿題は多い。だから僕は授業でさわった部分をやるようになった。そうしたら成績も下がることはなかった。そして僕の志望校は灘になっていた。でも先生達から灘はむずかしいという現実をつきつけられた。とても苦しかった。でも灘に落ちるなら意味がない。だから志望校は甲陽にした。そして僕の甲陽合格への特訓がはじまったのだ。初めはなめてかかった甲陽。でも灘に合格するような人も甲陽コースにたくさんいて、僕は甲陽コースで下の方になってしまった。でも意地でも受かってやると浜学園に入った時のようにコツコツ勉強して成績も上がったし、光が見えてきたと思った。甲陽中入試練習でも合格発表の時に立てるようになった。でも僕は典型的な場合の数が嫌いな生徒だった。だからその単元のテストは悪くいつも少しの差でまちがえてしまっていた。すると本番3日前に、なんと先生が僕の分からない場合の数の問題を一対一で教えてくれるということになった。そしてたくさん質問してたくさんの技を身につけることができた。そして僕は合格発表で番号を見つけられたのだ。誰だって浜学園に行けばどん底から上がれるのだなあと思った。