何もかもわからなかった4年生の春。ぼくは入塾したそのころは、受験というものの重さをわかっていなかった。だが、春期講習がはじまると、その宿題の量の多さなどにびっくりして、受験にうかるには、このようなびっくりする量の宿題をこなしていかなければいけないということと、受験はそうとう厳しいものなのだろうということがわかった。
だが、ぼくは5年生の終わりごろまでは、受験までまだまだ日があると、自分をあまやかし続けた。ぼくをかえてくれたのは5年生の終わりごろにあった志望校判定模試だった。なぜなら自分の判定が全てDだったからだ。ぼくはその時あまりのひどさにおどろいた。自分はこれまで勉強してきたのに判定がDだったのだから。だが、その時両親が「まだ時間があるから」となぐさめてくれたのだ。このなぐさめがもしなかったら、ぼくは心が折れて受験などしなかったかもしれないと思う。
それから時が過ぎ、前受けの岡山中学校の受験日がきてドキドキしながら、暗記問題を見ていた。そして試験監督の「はじめ」という声とともにぼくは問題を無我夢中に解き始めた。あっという間に3科目全てが終わった。ぼくは国語はあまりできなかったと思っていた。家に帰ってからは、悪いイメージばかりうかんでいた日々だった。ある日、ポストの中にでかい物が入っていた。ぱっと見て何かわからなかったので父に聞くと、岡山中学校の通知書だと分かり、いっしょにあけ、紙を出すとすぐに「合格」と書いてある文字が見え、ぼくは安心した。とてもうれしかった。
そしてさらに時が過ぎ、淳心学院中学校の受験日になった。校内に入り席にすわると、いままで積み重ねてきた努力がむだになるのでは、という考えが頭をよぎった。だからなのかはわからないが、覚えていたことをほとんどわすれてしまうということが受験3日間すべておきた。もしあの時平常心を保つことができていればと後悔している。